2012年01月11日
鏡開き
1月11日(水)鏡開き
寒い一日でした

我が家はおしるこにして頂きました
byチェリー号船長の釣り日記

寒い一日でした


我が家はおしるこにして頂きました

byチェリー号船長の釣り日記
鏡開き(かがみびらき)・鏡割り(かがみわり)とは、正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事であり、
神仏に感謝し、またその供えられたものを頂いて無病息災などを祈って、多くの場合は汁粉・雑煮で食す。
武家では、鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮にして食し、これを「刃柄(はつか)」を祝うといった。
この武家社会の風習が一般化したものである。
また、女性が神仏鏡台に供えた鏡餅を開く事を「初顔」を祝うといい、二十日(はつか)にかける縁語とした。
刃物で切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使用する
(「開き」は「割り」の忌み言葉)。鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。
これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。
日付
一般的には、年神(歳神)へのお供えが松の内(1月7日)に終わったあとの1月11日に行われる(土日祝日などにより異なる場合もある)。
元々は松の内が終わる小正月(1月15日 (旧暦))後の1月20日 (旧暦)に行われていたが、
徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、1月20日を忌日として避け、
後に松の内[5]後の1月11日 (旧暦)とされた。
グレゴリオ暦(新暦)になった現在、松の内が1月15日の地方では1月20日(二十日正月)に行われる。
京都府や近隣の一部では、1月4日に行なうが、その理由は明確とはなっていない。
鏡抜き
祝宴などで菰(こも)を巻き付けた酒樽(菰樽という)の蓋を木槌で割って開封することも鏡開きという。
これは、酒屋では酒樽の上蓋のことを鏡と呼んでいたことに由来する。
また、この場合は鏡抜きと呼ぶこともあり、「鏡開き」と呼ぶのは誤りだという説もある。
byチェリー号船長の釣り日記
神仏に感謝し、またその供えられたものを頂いて無病息災などを祈って、多くの場合は汁粉・雑煮で食す。
武家では、鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮にして食し、これを「刃柄(はつか)」を祝うといった。
この武家社会の風習が一般化したものである。
また、女性が神仏鏡台に供えた鏡餅を開く事を「初顔」を祝うといい、二十日(はつか)にかける縁語とした。
刃物で切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使用する
(「開き」は「割り」の忌み言葉)。鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。
これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。
日付
一般的には、年神(歳神)へのお供えが松の内(1月7日)に終わったあとの1月11日に行われる(土日祝日などにより異なる場合もある)。
元々は松の内が終わる小正月(1月15日 (旧暦))後の1月20日 (旧暦)に行われていたが、
徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、1月20日を忌日として避け、
後に松の内[5]後の1月11日 (旧暦)とされた。
グレゴリオ暦(新暦)になった現在、松の内が1月15日の地方では1月20日(二十日正月)に行われる。
京都府や近隣の一部では、1月4日に行なうが、その理由は明確とはなっていない。
鏡抜き
祝宴などで菰(こも)を巻き付けた酒樽(菰樽という)の蓋を木槌で割って開封することも鏡開きという。
これは、酒屋では酒樽の上蓋のことを鏡と呼んでいたことに由来する。
また、この場合は鏡抜きと呼ぶこともあり、「鏡開き」と呼ぶのは誤りだという説もある。


Posted by チェリー号船頭 at 23:36│Comments(0)
│船頭の酔いどれ日記