2011年12月31日
門松(かどまつ)
門松(かどまつ)


名古屋市中川区清川町で
byチェリー号船長の釣り日記


名古屋市中川区清川町で



門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる一対になった松や竹の正月飾りのこと。松飾りとも。
古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依り代という意味合いがある。
地域の言い伝えにより松を使わない所もある。
新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に始まり、室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったと言われる。
現在の門松は中心の竹が目立つが、その本体は名前で解るとおり「松」である。
もと、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、
現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの
小松(松の折枝は略式)が飾られる。
竹の先端部の形状は、斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類がある。
「そぎ」は徳川家康が始めたもので、徳川家康の生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、
対戦相手の武田信玄に対して、次は斬るぞという念を込めたのが始まりという説がある。
江戸期の門松は、現在と異なり、松の先を切らずに地面からそのまま家屋の二階屋根まで届くような高さのものが飾られていた。
地方により門松の様式に差がある。関東では、3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、下部をわらで巻くという形態が多い。
関西では3本組の竹を中心に、前面に葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。
豪華になると梅老木や南天、熊笹やユズリハなどを添える。
「逆さ門松」とも言われる、松を下向きに飾る門松のほか、松を使用しない門松が、東京都府中市の大國魂神社と神戸市生田神社などにある。
集合住宅の発達など社会環境の変化などから、画像の様な本格的な門松が設置されることは少なくなったが、
一般家庭用に小さな寄せ植え風の門松などが年末に店頭に並ぶようになったため、このタイプの門松を置く場合がある。
さらに省略版として、枝振りのいい若松に、赤白や金銀の水引を蝶結びにし、門柱などに付ける方法もあり、手軽なことから多く使われる。
スーパーマーケットなどの商店では「賀正」「謹賀新年」といった語と、新年のあいさつ文、門松や鶴、亀、日の出などの絵を
印刷したポスターを張って済まされる事もある。
また、松の木の保護や伝統文化の継承を目的に「門松カード」と呼ぶものを市役所や公民館などで配布したりホームページから
ダウンロード出来るようにしている自治体もある。]
生花店やホームセンター、造園業や工務店などで作られ、設置・撤去まで一括でおこなうサービスもある。
生花を利用するので翌年に使い回しはできないが、造花を使用する門松もある。
近年は年末年始の警備員が居ない状況下での危険を避けるため、繁華街の店舗用などでは先が尖ってない門松を置く事が多くなっている。
また大型商店やオフィス街では、初売りや正月は無人に近くなる都心の事情などにより、
本格的な門松が置かれるのが大晦日や元旦になる場合がある。
設置期間
12月の13日(もしくはその後)に、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」をおこなう。
この「松」により、山から歳神様(歳徳神)を迎え入れる事となる。
門松の設置は13日~28日が多く、クリスマスを避けて設置される場合もある。
12月29日に飾るのは「二重苦」、更に9の末日でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、
また12月31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされている。
7日までを「松の内」といい、お正月の松飾りをつけておく期間となり、 6日の夕方や翌7日に片づける場合が多い。
しかし、地域によっては1月15日の小正月まで飾るなど、さまざまである。
(左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞う。
左義長は1月15日の小正月が多いが、地域や神社によって異なる)
byチェリー号船長の釣り日記
古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依り代という意味合いがある。
地域の言い伝えにより松を使わない所もある。
新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に始まり、室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったと言われる。
現在の門松は中心の竹が目立つが、その本体は名前で解るとおり「松」である。
もと、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、
現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの
小松(松の折枝は略式)が飾られる。
竹の先端部の形状は、斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類がある。
「そぎ」は徳川家康が始めたもので、徳川家康の生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、
対戦相手の武田信玄に対して、次は斬るぞという念を込めたのが始まりという説がある。
江戸期の門松は、現在と異なり、松の先を切らずに地面からそのまま家屋の二階屋根まで届くような高さのものが飾られていた。
地方により門松の様式に差がある。関東では、3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、下部をわらで巻くという形態が多い。
関西では3本組の竹を中心に、前面に葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。
豪華になると梅老木や南天、熊笹やユズリハなどを添える。
「逆さ門松」とも言われる、松を下向きに飾る門松のほか、松を使用しない門松が、東京都府中市の大國魂神社と神戸市生田神社などにある。
集合住宅の発達など社会環境の変化などから、画像の様な本格的な門松が設置されることは少なくなったが、
一般家庭用に小さな寄せ植え風の門松などが年末に店頭に並ぶようになったため、このタイプの門松を置く場合がある。
さらに省略版として、枝振りのいい若松に、赤白や金銀の水引を蝶結びにし、門柱などに付ける方法もあり、手軽なことから多く使われる。
スーパーマーケットなどの商店では「賀正」「謹賀新年」といった語と、新年のあいさつ文、門松や鶴、亀、日の出などの絵を
印刷したポスターを張って済まされる事もある。
また、松の木の保護や伝統文化の継承を目的に「門松カード」と呼ぶものを市役所や公民館などで配布したりホームページから
ダウンロード出来るようにしている自治体もある。]
生花店やホームセンター、造園業や工務店などで作られ、設置・撤去まで一括でおこなうサービスもある。
生花を利用するので翌年に使い回しはできないが、造花を使用する門松もある。
近年は年末年始の警備員が居ない状況下での危険を避けるため、繁華街の店舗用などでは先が尖ってない門松を置く事が多くなっている。
また大型商店やオフィス街では、初売りや正月は無人に近くなる都心の事情などにより、
本格的な門松が置かれるのが大晦日や元旦になる場合がある。
設置期間
12月の13日(もしくはその後)に、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」をおこなう。
この「松」により、山から歳神様(歳徳神)を迎え入れる事となる。
門松の設置は13日~28日が多く、クリスマスを避けて設置される場合もある。
12月29日に飾るのは「二重苦」、更に9の末日でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、
また12月31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされている。
7日までを「松の内」といい、お正月の松飾りをつけておく期間となり、 6日の夕方や翌7日に片づける場合が多い。
しかし、地域によっては1月15日の小正月まで飾るなど、さまざまである。
(左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞う。
左義長は1月15日の小正月が多いが、地域や神社によって異なる)


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